深夜にこんばんは、ぺりですヾ(´ー`)ノ
タイトルはとりあえず置いておいて。
突然ですが、4月に一泊二日で青森へ行きました!
4連休が取れて、京都や離島と迷ったけれど、東北新幹線が半額だったので(2021年9月末までですよ!)珍しく北へのひとり旅。
弘前城の桜がちょうど見頃でした🌸
宿から近かったので、ねぶたの家ワ・ラッセへも。
ねぶた祭りって有名ですが、どうして行うのかとか、これは一体何でできているのかとか全く知らなかったので、想像以上に楽しめました!
そして「人生でやりたいことリスト」の一つ、
「奥入瀬渓流へ行く!」、叶えました\(^^)/
まだまだ冬景色だったけれど、ほとんど貸し切り状態で大満足!
バスも利用しつつ、ひたすら歩いて、深呼吸して、渓流の流れに耳を澄ませて、、、。
もう一泊したら良かったのですが、都合が合わず、、、。
でも一日費やしてでも、ここに来られて良かったです。
癒し効果絶大、、、!
行きたかったフレンチが予約で満席だったり、
奥入瀬への道が倒木でタイムロスしたりしたけど、
(レンタカーじゃなくて本当に良かった)
やっぱりそういうのがあるから旅は楽しい。
「一人で行って何が楽しいの?」って
毎回家族に聞かれるのですが、
行った人でないとわからんよね、これは。
「あ、わたしここに行きたい!」って思って、
パーッと素泊まり手配して、でも計画通り行かなくて、
あっちへふらふらこっちへふらふら、
自分の意思で選びとって、歩いて、休んで、また歩いて、
辿り着いた美しい景色、美味しいもの、穏やかな時間。
誰かと分かち合いたいなあという寂しさもあるけれど、
ここまで来たわたしだけのものっていう高揚感に溢れたりもします。
帰ってきてすぐ職場が休業してしまって、再び自宅待機に。
人生タイミングが全てだなあと改めて思ったのでした。
話繋がらないですが、最近、ずっと考えていることがありまして。
この頃、なぜかニュースやSNSで「旅行や帰省をしたいけど、できない・中止した」というコメントを耳にします。
「○○はすべきではない」
逆に、「○○しなくてはいけない」
こういう、義務感から生まれる行動って、結局他人や世間体を意識したものが多くて、自分の心からの本意というわけではないから、そのうち後悔したり不満が出たりしますよね。
それに、そういう気持ちで動いている人って、全然幸せそうに見えない(;_;)
いつもなぜか気を張って、自分にも他人にも厳しくて、きっとそのうち疲れて何もできなくなってしまうんじゃないかなあ。
それに、どんな理由であれ自分の行動の責任って、いつだって自分自身しかとれないよね。
責任というか、なんというか、うーん、、、。
周りの雰囲気や圧力で仕方なくだったとしても、わたしたちはコンピューターのように制御されているわけではないので、最終的な意志決定は自分自身にあるじゃないですか。
それを勘違いして、視野を狭くして、自分の自由を奪っているのは自分自身かもしれないよねってこと。
踏み出す足も、留まる足も、自分自身のもの。
他の誰かの体に生えてるわけじゃない。
今の自分の環境や状況が自分にとって幸福と感じられないのなら、周りが変わるのを待っていても時間だけが過ぎていく。
自分がまず「変えたい、変わりたい」と強い意志を持って一歩踏み出さないと、何も誰も自分の望むようになんて変わってはくれない。
誰かに文句を言ったって、そんな時間こそがもったいないし、失われた時間は戻ってはこないし、その上時間はお金で買うことはできない。
たった1時間や2時間の話ではなくて。
人生の大切な時期を、したくないことばかりして過ごして、そのまま数ヶ月、数年、十数年経ったとしたら、したいことができないまま、もう叶えられない年齢になっているかもしれないよね。
会いたい人も、行きたい場所も、いつまでも変わらずにあるとは限らない。
だって、老いも死も、平等に与えられた命だから。
誰もが今日より明日、少しずつ老いていく。
そして死は、老いの先だけにあるのではなくて、生きている限り誰にでも、いつでも訪れるもの。
100年生きる時代なんて言われたって、100年ただ生かされてるだけじゃ、楽しくも何ともない。
だから、他責より自責の思考を持ちたい。
今叶えられないことがあるなら、誰かのせいにするのではなくて、自分の内側を変えてみる。
他人軸でなく、自分軸で動きたい。
周囲の意見や雰囲気に同調せず、自分の心が動く方へ向かいたい。
楽しいこと、わくわくすることをしたいし、
おかしいなって思うこと、自分で納得できないことはしたくない。
そう、シンプルにいられたらいいのに。
それって自分勝手じゃない?と思われるかも知れないけれど、わたしはそうは思わない。
(もちろん犯罪行為は別)
「人に迷惑をかけたくない」と思ってる人もいるけれど、人間は社会的な生き物だから、むしろ迷惑をかけずになんて生きられないんだと思う。
結局その人の物差しでしか測れないことばかりだしね、、、。
人に嫌われるのは誰だって怖い。
それでも自分の心が死なないために、誰かに後ろ指を指されても、わたしが好きな自分でいたい。
一所懸命、自分が好きな自分を生きたい。
然るべき終わりの時が来るまで、命を燃やしたい。
その時が来るまで、
行きたいところに行く。
働くことが楽しいから、仕事に行く。
大好きな人と笑い合いたいから会いに行く。
生かされてるんじゃない、自分で生きたい。
軸とか言ったって、結局誰かの一言ですぐにぶれちゃって、泣いたり怒ったりするんですけどね。
そこからまた一歩、目指す方向に進んでいけたら良いなと思う。
っていう、ひとりごと。
なんでしょう、うまく言えないのだけれど、、、
疲れたなと思ったら、
仮面をはずして素顔になって、友達や家族、好きな人と、きれいなものを見に行きませんか?
その人が遠くにいるのなら、会いに行ってそのことを伝えてあげませんか?
そんなことを、当たり前のようにするのが生きる幸せだとわたしは思うのです。
お付き合いいただき、ありがとうございました。