わたしのひとりごと

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やがて海へと届く

こんにちは、ぺりです。

 

 

さて、今日の読書記録。

 

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彩瀬まる「やがて海へと届く」

 

ホテルのダイニングバーで働く主人公真奈のもとへ訪ねてきたのは大学時代の友人すみれの恋人だった男遠野。遠野は真奈に、かつてすみれと暮らした部屋を引き払い、すみれのものを処分しようと思うと打ち明ける。

 

地震の前日、すみれは遠野君に『最近忙しかったから、ちょっと息抜きに出かけてくるね』と伝えたらしい。そして、そのまま行方がわからなくなったーーー」 

 

すみれを諦める遠野や、すみれが「おそらく亡くなった」ことで都合良く自分との関係を正当化するすみれの母親の態度に複雑な気持ちを隠せない真奈。

自分だけは、すみれの孤独な死を忘れてはいけない、すみれと繋がっていたいと、悲しみに寄り添う日々を送るーーー。

 

 

 

以下、多少のネタバレ含みます。

 

 

 

さよならを言えなかった人。痛かっただろうか、辛かっただろうか。

その孤独な死を忘れて生きることは薄情だろうか。

 そんな真奈の葛藤に胸が痛む。

 

真奈の視点の章と、夢の中のような現実味のない世界観の章が交互になっていて、感の鈍いわたしは最後の最後でようやくそれが、さ迷っているすみれの魂の視点の章なのだと気づいたのでした。鈍すぎ。

 

わたしには真奈の、死者を都合の良いように扱うひとたちへの憤りが、仕方のないことだと割りきることのできない心のやわさが、切なかった。

すみれをひとりぼっちにして、わたしだけが幸せになっちゃいけない、みたいな頑なさ。 

でも、そうすることで自分が少し楽になるような許されるような感覚もわかる。

 

 

すみれの章は、少しおどろおどろした、不穏さに満ちていて、初めは真奈がすみれの後を追おうとしているのかと思ったらそうじゃなかった。

すみれの魂は、ここにいてはいけないと、死してなお歩いて行く。

 

バスも電車も来なくて、歩いて、歩いて、また同じ場所に戻って、歩いて、逃げて、歩いて、やがて海岸にたどり着く。

卯月すみれの靴を脱いだ魂は、この海岸に至るまでの卯月すみれが歩いてきた道筋を振り返る。

 

「道の半ばに、さよならも言えずに遠ざかってしまった人たちの姿が見えた。急に、温かい空気を含んで体がぶわりとふくれあがった。会いたかった。あの人たちにもう一度会いたくて、ただ一言のお別れが言いたくて、そのためにこんなところまで来てしまった。もう終わったのだ、大丈夫なんだと伝えたい。」

 

わたしの心もぶわりとふくらんだ。

この次の、ラストのすみれの章の数ページに込められた希望に涙が止まらなかった。

 

 

 

 

恥ずかしながら読んで初めて知ったのですが、彩瀬まるは東日本大震災を福島で被災された方なのだそう。

でもだからといって、この話は震災で亡くなった命を思うといった話ではないと思いました。

何かもっとこう、スケールの大きな世界の話というか。

真奈の、フカクフカク愛し合える、誰かの特別な誰かになれると信じて疑わなかった世界は簡単に奪われてしまった。

それは震災があってもなくても、誰にでも訪れうる人生の常というものかもしれない。

 

読み終わって心が激しく揺さぶられて、一人でこの気持ちを抱えていることに耐えられなくて、この本のレビューをただひたすら読んで何か答えのようなものを求めていました。

 

そしてやっとこのブログに感想をまとめるに至ってようやく、著者コメント&インタビューの存在に気づきました。

 

講談社のインタビューの、今後、どのような作品を書いていきたいかという質問に対し著者はこう答えています。

「本作を書いている間に、特に感じたことです。目に映るもの、誰が見てもそこにある確かなものだけを書くのではなく、目に映らないもの、信じることに胆力が必要なもの、あると信じることで人生を少しずつ変えるもの、そういうものへ向かう作品を書いていきたいです。」

 

わたしは、むしろこれがこの作品の全てだと感じました。わたしには勇気がなくてとうてい信じることのできないような希望を、それでも信じたい、信じていたいと思わせてくれるやさしさ、温かさを感じました。

 

 

 

震災で親友を失った話というと辛い、暗い話に聞こえるかもしれないけれど、わたしにはなんて希望に満ちた作品だろうと思えてなりません。

 

 もう一度読み返したい。