わたしのひとりごと

お付き合いいただきありがとうございます。

自分が動くことの大切さ

こんにちは、ぺりですヾ(´ー`)ノ

 

社会に対するもやもやその2です笑

 

この記事は現在のコロナウィルス感染症対策に対する個人的な疑問を話題にしています。

 

前回のコピペで申し訳ないですが、このブログは、

「わたしの感じたことやってみたことを書いて興味を持ってくれた人、同じ気持ちでいる人とわくわくしたい・共感したい・応援したい!!!」

という気持ちで書いています。

 

 

違う気持ちでいる人からの意見もあるかもしれないけれど、それはあなたの心の内に留めておくか、どうかあなたの場所で、あなたと同じ気持ちでいる人のために綴ってあげてください。

 

ここはわたしと同じ気持ちでいる人が、少しでも仲間がいることを知って、安心してくれる場であってほしいので、私自身のためにも書き残しておきます。

 

 

 

それでは。

 

 

「もしコロナが収束したら」

 

このコロナ禍でよく聞く言葉です。

 

「マスクしなくてよくなったら」

「帰省・旅行できるようになったら」

「会食できるようになったら」

 

 

 

それって、結局いつからなのかな。

 

誰かに許可をもらわないとできないこと?

 

わたしは違うと思う。

自分の意志でいつだって、今すぐだってできることだと思う。

 

 

 

 

 

 

わたし、通勤の電車でマスクしていません。

スーパーで買い物中、マスクしていません。

歩いている時、自転車をこいでいる時も、マスクはしていません。

 

長時間付けてると呼吸が苦しく、頭が痛くなってしんどいのと、

他にもいくつか理由があって、なるべく付けない時間を長くとるようにしてます。

1年以上そうした生活ですが、そのことでトラブルが起きたことは一度もありません。

マスクをしていないわたしを見てそっと立ち去る人もいますが、ほとんどの人は気にしていない様子です。

 

 

マスクは本来、風邪などの症状がある人が周りの人への感染リスクを下げるために使用する、エチケットのためのツールだったはず。

それが今では、「いつから呼吸エチケットになっちゃったの?」って、本当にそう思う。

(Twitterで書いてる人がいていいね連打)

 

 

ただ、コロナ禍で感染の不安を抱えながら、

それでも接客をしてくれる店員さんたちを怖がらせたいわけではないので、

レジで会話をする時はタオルを口元にあてます。

 

それならずっと付けてればいいとは言われたくない、

それを決めるのはわたしです。

「協力のお願い」はあくまでもお願い。

 

 

とはいえ、人と話す仕事のため、職場では不織布マスクの着用を求められ、今のところその指示に従っています…。

自分の会社と、ショップの入っている取引先両方に意見を通すにはなかなか厳しく…泣

 

仕事は大好きだから今はやめるつもりはないし、悩ましいところ。

 

営業時間外の掃除中などははずしているけど、

そんなわたしにも通りかかった同じフロアの方はみんな挨拶してくださるし、

密告されたりもしてません、今のところ笑

 

営業時間中は隙を見て人のいないところで外して深呼吸することでなんとかやれてます。

効果は求めてないので、とにかく薄くて呼吸しやすい不織布マスクの情報があればコメントにお願いします笑

 

 

 

 

 

 

県をまたぐ外出も自粛してません。

仕事のため毎日県をまたぐ移動をしているけれど、

誰かに許可取ったりしなくても通勤できているので。

同じように休日も私用で県をまたいでいます。

 

 

距離や不要不急かどうかの問題以前に

自分のしたいこと、することは誰かに決めてもらうことではない。

 

 

それに、1回目の緊急事態宣言下でさえ、県境で県民であることの証明を求められたりはしなかった。

今だって、区や市をまたぐ移動を自粛するよう呼び止められたりしないよね。

一丁目は良くて二丁目はダメとかないのに、

○○県内はよくて△△県に行ってはダメなの?

地図上の境界線って、わたしたちのリアルな暮らしを分断するためのものなんだっけ…?

 

 

行きたいところがあるから、行く。

隣の区や市へ行くこと、隣の県に行くこと、北海道から沖縄まで行くこと、それらを区別する理由がわたしにはわかりません…。

移動を制限することが感染拡大防止になる理屈もわからん…。

 

 

 

 

 

好きな人と会い、楽しく食事することも自粛しない。

行きつけのお店の方、いつもノーマスクで笑顔で迎えてくれる。

ありがとうございますと笑顔を交わし合う。

好きな人と、これおいしいよ、食べてみてと恵みを分け合う。

 

 

何かが跳ねた跡のついたプラスチックのビニールシートや衝立てに囲まれ、

何から何まで除菌シートで拭きつくし、

だんまり食事をして、それって何か幸せなことがありますか?

 

 

 

 

 

 

これら全部、誰かに許してもらわなきゃ、終わらせられないことなのかな?

 

テレビで総理大臣が

「コロナ感染者は限りなく0に近づきました、みなさん明日からマスクをはずしましょう」

と言わなければ、わたしたちは自由ではないのかな?

 

 

ワクチン接種が多くの国民に行き渡る11月を目処に、ワクチン接種証明書や陰性証明書を用いた規制緩和を始めるという話になっているみたいですね。

 

これ、ワクチン接種済みの方も関係ないと思わずよく考えてほしいのですが。

 

規制緩和」と言うけれど、今現在、わたしたちの行動を規制しているものってなんでしょうか。

緊急事態宣言?

でも、緊急事態宣言中の行動に何か証明書は必要だったっけ…?

 

県境で住民票の提示が必要?

 

いやいや、必要ないでしょ!

札大混雑しちゃう!

 

 

それなのに、別に誰も強制していない行動規制を緩和させるためには、

なぜかワクチン接種証明書の提出を強制される。

ワクチンの接種は強制ではないとされながら、その接種証明を強制される。

なんの症状もないのに、受けたくもない信憑性もないPCR検査の陰性証明が求められる。

 

これってすごく不思議なことだと思うんですけど…?

 

自由を得るために必要なことのように豪語しているけれど、

でも今だってわたしたち、どこにだって自由に行けるよ?

 

 

????

 

 

 

 

 

 

結局、こういう疑問を飲み込みながらひとつひとつ黙って従っていたら、容認しているのと同じこと。

 

自ら不自由を求めているのと同じこと。

 

いくつか前の記事で、人間関係においてまず自分が変わることの大切さをお話ししたことがあるけれど、

今回についても同じことが言えると思う。

 

黙って待っていたって、望む未来はやってこない。

 

偉い誰かがやってくれる。

専門家がなんとかしてくれる。

 

そう他人任せにして、顔色を伺って、望んでいない方向に流されていたって、まわりが勝手に自分の都合良い世界に変えてはくれない。

 

変えたいとおもったらまず、自分たった一人でも動き出さなきゃ何も変わらないんだよ。

 

わたしはこのコロナ騒動で、自分の日常はかろうじて守れているけれど、

大切な人たちを、その人たちと過ごす大切な時間を、

守りきることができなかった。

 

失われてしまった、そのかけがえのない時間はもう二度と訪れることはない。

 

 

わたしも最初はコロナウイルスに怯えていた。

一日に何度も手を洗い、マスクを変え、他人と接することに躊躇していた。

 

 

でも、今は違う。

どうしても、一日でも早くこんな日常を変えていきたい。

そう思ったからまずは自分の行動を変えたんだ。

 

 

まわりからどう思われても、

自分の納得できないことはしたくない。

大きな流れの一部に甘んじてこれ以上大切なものを守れずにいてたまるか。

 

 

 

 

自分の明日を変えるのは自分自身。

 

自分の小さな一歩から、世の中を変えていく。

 

世界が自然な姿であれるよう、自然な自分でいる。

 

 

「今まではこうだったから」

「わたし一人じゃ何も変えられないから」

 

 

言い訳はいくらでも誰にでもできる、

でも、

「変えたい」と思った瞬間の行動を変えること、

それは自分自身の持つ勇気だけが原動力。

 

他の誰でもない、自分自身の心のままにいられる世界を守っていきたい。

 

 

お付き合いいただき、ありがとうございました。