わたしのひとりごと

お付き合いいただきありがとうございます。

絶望している暇はない

こんにちは、ぺりですヾ(´ー`)ノ

 

脳内お花畑なとりあえずなんとかなーるなノリで生きてる幸せな人、ぺりです。

 

って、今はそうなんですけど、最初からそうだったわけじゃない。

 

 

 

 

若かりしころは人並みに悩みもあったし、10代の頃にはありがちな情緒不安定な時期も経験した。

 

その頃のわたしは、とにかく自分がかわいそうで仕方なかった。

自分が不幸な理由を並べて、

「わたしはこんなに不幸!かわいそう!生きる価値なんてない!しにたい!」

なんて、今ではネタにして笑っちゃうようなことを、本気で考えていた。

でも、わりとみんなそうだよね、、、?笑

 

高校が大嫌いで、休み時間は話しかけられるのが嫌で寝たふりばかりしていたし、帰りのホームルームでは教室にいられなくてトイレに立て籠っていたし、オンラインで知り合った人と夜通しメールやチャットばかりしていた。笑

 

それが、高校3年くらい?ある時から少しずつ吹っ切れてきて。

まあその経緯は置いといて。

 

大学生になり、20歳になったくらいの頃から、ようやく「今が一番楽しくて幸せ」と言える時間を過ごせてる。

歳をとる度、楽しい今が更新されていく。

 

大学生活は高校と比べ物にならないくらい楽しかった。

でも、あの頃は楽しかったねって、思うことはあるけれど、だから戻りたいとか今はつまらないとか、ない。

 

31年間生き続けてきた日々は過ぎ去ってもわたしの中に残っているから。

 

10代の頃は「こんなしにたい気持ちのまま、あと何十年も生きてくなんて無理」って絶望していたけれど(笑)、わたしの視野が狭かっただけで、まだまだ知らない世界が遠くまで広がっていることを知れてわくわくしてる。

 

ちゃんと、生きて、大人になってよかった。

 

大人と言われる年齢に近づいて、やっと自分を不幸にするための言い訳よりも、自分が出会えた幸せに気付けるようになった。

 

そして、辛かった10代の頃わたしに悩みを与えてくれた人たちに感謝をできるようにもなった。

 

20代後半も、まだ他人と自分を比較してしまうことがあったけれど、コロナ騒動禍で自分を見つめ直してわたしに必要なもの、なくても平気なもの、冷静に考えられるようになった。

 

わたしは、持っていないものばかりに目を向けて、今与えられているものを気付かないふりしていたと思う。

 

メディアやSNSでは幸せな暮らしのテンプレートみたいなもので溢れているし、自分にはない魅力的な才能を持った人もたくさんいるけれど、自分に劣等感を感じる必要なんてないんだよ。

 

むしろ、そんな窮屈なもの、こっちから電源オフしてスルーしてやれっ!!ってな!!

 

わたしはわたししか生きれないんだっ!!

 

 

 

 

 

 

で、なぜこんな話をしたかというと、再び絶望を感じる瞬間があって。

 

コロナ騒動禍になって、食事のことを気にかけはじめて、そうすると知りたくなかった現実もたくさん知ることになった。

 

ワクチンを接種するかしないか考えたとき、その裏で大きなお金が動いていることを知った。

 

食事も、医療も、わたしたちは選んでいるつもりで実は利益のために踊らされているだけなのかもしれない。

そんな、自分の生活の根底を揺るがすような事実を知らされずに生きてきたことに、またも絶望的な気持ちになった。

 

もうこれ、自分一人じゃどうにもできないじゃん、無理ゲーじゃんって。

どうしてみんなそんな平気でいられるの、おかしくないのって、気付いてほしいよって、おかしいことを指摘している人の投稿をシェアしたりしてた。

 

でも、以前も書いたけど人が動くときってその人自身の意思がなくちゃ、他人にはどうすることもできない。

ただ小さなきっかけを与え続けることしかできない。

 

わたしだって、急に気付けるようになったわけじゃない。

もともと、健康的に生きていくために筋トレを始めたのが全ての始まり。笑

小さな疑問をひとつひとつ、自分で調べて、自分なりの理論を組み立てて、今のわたしがあるんだ。

その理論も過程も人それぞれ違うものだから、結論だって様々だ。

 

大切なことは、その人の心が穏やかで幸せであること。

変に不安にさせたり怖がらせたりしたいわけじゃないんだ。

 

 

 

考え出したら不安になりそうなこと、きりがないけれど。

わたしは日本人としてこの地球上に生きているから、日本のこと、世界情勢のこと、全然無関係じゃなくて、よく見極めていかなきゃいけないんだけど。

 

でも、心は、そんな小さな枠組みから遠く離れて、もっと自由なところに置いておきたいと言うか。

 

世界が変わってしまっても、今、わたしが手にしてる幸せを見失わずにいたいと思う。

その世界の中で、自分がご機嫌で楽しく笑顔でいられる方法を探したいと思う。

 

わたしに世界は変えられない。

だけど、わたしの心の在り方、世界の捉え方、わたしの行動は、無限に変えていくことができる。

 

 

青森の記事でも書いたのだけど、人は誰もがいつかは命を終える。

そしてそれは老いの先にあるのではなく、誰もが死と隣り合わせで生きてる。

 

 

experico.hatenablog.com

 

 

交通事故、電車での無差別殺人、肺炎、自然災害、突然呆気なく死ぬこともある。

 

あるかないかもわからない無症状感染に怯えたり、忖度でマスクつけたり、必要のないワクチンを打ってる暇はない。

 

風邪だろうとワクチンの副反応だろうと不運な事故だろうと、その危うさは変わらなくて、それを忘れずに大切な人とかけがえのない今を生きていきたいと思う。

 

いつか来るそのときまで、おはよう、こんにちは、ありがとう、ごめんね、すきだよ、おやすみ、伝えたい。

あなたが今ここにいることがうれしい、その気持ちを表情で仕草で伝えることを忘れないでいたい。

 

 

テレビなんて、電源オフして、外に飛び出してやれってな!!

 

と、絶望なんて感じる暇ないほどに今を生きたいなってはなしでした!!

 

最近自分語りばっかり!笑

 

お付き合いいただきありがとうございました。